駅を歩いていると、選挙演説を行っている方がいました。
耳に少し入ってくる演説内容は素晴らしいのですが、その演説者を見たとき何故か一致感を感じられないのです。
最初は何故かわからなかったのですが、やっと気が付きました。
演説をしている目の前の路面に2つ3つ落ちたゴミがあるのです。
ゴミに気付きやすいのは清掃の仕事も行う私の感性もあると思うのですが、そうは言え、目の前のゴミは誰でも気付くのでは無いかと思いました。
応援の方も数名いらしてビラも配られていたので、誰かは気付いているのでは無いのだろうかと。
清掃会社でスーパーやイベント施設などを担当している時、尊敬する先輩から「私たちは舞台をつくっているんだぞ。そこで働く方の舞台を作っているんだ。だから美しく振る舞えるように舞台をしっかりつくらなければならない」と教えて頂きました。それからは、その様な感覚を持って仕事をしています。
さらに我が社の経営計画書の中に、造園会社の創業者が好きだった言葉「目の前のゴミすら拾えない人間に一体何ができようか」があります。
かなり強烈な文章ですが、昭和の造園職人でもあった創業者で心意気を感じます。
(経営計画書内「大切な3つの事」の2番目。1番目は明るくさわやかな挨拶がきちんと出来る。3番目は人に感謝の出来る人間。です)
その様な思案が重なり、目の前にゴミが落ちている場所で素晴らしい演説をしても、相手に与えてしまうものは全く違うものになってしまうのだ、と気が付いたのでした。
そしてブログを書いていて思いました。
その目の前のゴミは私も拾えたと。
気付いたゴミを拾えるようになろうと。
「ふと」普段の生活でも、気付いてもそのままにしてしまう事があるな、と反省する時間となりました。